先週、集団的自衛権の法案が予定通り衆議院を通過。次回の総選挙でなんとかしないといけないが、その前にできることは唯一「支持率を思いっきり低下させること」。
確かに支持率はじわじわ低下しているが、まだまだ安倍政権の支持率は十分に高い。支持している方々がみんな今回の法案のことを理解して支持しているとは到底思えない。おそらく「だって他の党で支持したいのはないじゃん」という消去法的考えが下地にあるのだろう。
今回の件で(安倍政権のおかげで)、これからの国の形をどうすべきかということに対して思考停止ではいられない状況ができたと思う。
憲法第9条は、「国際紛争の解決を武力では行わない」というこれまでの人類の常識からみたら確かに無謀な「覚悟」を示したものだと思う。つまり、武装はせず(丸腰で)、外交や金銭的なことや、民間の人間のつながりなどでなんとかするという「覚悟」。国連軍事監視団への参加もやらなくてはならない手段だろう。
今回の法案の議論で何度も取り上げられた「リスクは上がるのでは」ということについては、「上がるか下がるかは分からない」のが正解だろうが、それ以上に大事なのは「どうやってもリスクはある」という当たり前の認識だ。
武力を行使しても、武力を使わなくても、国の存続や国民の安全に必ずリスクがある。「確率」はある程度述べる事ができるだろうけど。
つまり、ポイントは「覚悟」と「確率」。カクゴとカクリツか・・・
いいきっかけなので、今回の法案に反対する側(私も含め)も「覚悟」を議論してしっかり持ちたい。
「覚悟」はどういう表現で持てばいいのだろう。
「XX万人が殺される確率がYY%以上の場合までは武力は使わない」などかな?それとも「期待値」(この場合は「恐怖値」?)かな。
安倍政権の前までは「自国が攻撃されるまでは武力は行使しない」ということだったが、「国民が一人でも殺される可能性がある場合は、武力を行使できるようにしておく」という風に変わってきているので、どこまで武力を使わないかを明確な「覚悟」として持たないといけないだろう。(「攻撃は最大の防御」というシンプルな(単純な)考え方にいくらでも寄って行く)
それとも「ありとあらゆる武力行使以外の方法を取るが、ダメだったらどうなってもいい」という覚悟かな。(これは今日ではなかなか認められないだろうが、戦後直後の日本人であれば、多くの方が「もう何がなんでも戦争だけはしたくない」と心底思っていたので、合意される覚悟だったかもしれない)
法案支持の方からも、反対の方からも「何言ってんだ!」とか「無知!」とか言われそうだけど、言わなきゃね。なんかのきっかけになって考えてくれる人が一人でも増えれば嬉しい。(それにしても4コマに書くには内容的にも言いたい分量的にもちょっと無理があったな・・・)