勢川びきのX記 (4コマblog)

日々・世界の全てを4コマで

引っ越しました?

f:id:segawabiki:20181006094828p:plain

 

 12年も使ってお世話になっていた「はてなダイアリー」がいよいよ老朽化のため来年春には更新できなくなることになって、同じ「はてな」の「はてなBlog」にお引っ越し。

見た目もほとんど同じだし、旧URLを入れると自動でこちらに来るので、引っ越しをした感じもしない。実はもう10日以上前に引っ越したのだけど、「引っ越したな」と気がついた人はいるかな。

リアルな世界での引っ越しもそのうちこんな感じになるのかも。

ただ、記事の書き方がまだ慣れない。画像が小さくなる(大きく表示はできるのだけどなぜか荒くなる・・・)。単なるバグのような気もするので、しばらくこのサイズでいくか。(スマホモードでもやっぱり粗い気がする)→ 解決しました(が、かなり面倒・・・)

 

 



 

分かっちゃいるけど 思っちゃう

いつの頃からか忘れたけれど、どこかに何か大事なことで行く時に、かなりの確率で台風や大雨がやってくる。いわゆる「雨男」を超えた「台風男」「嵐男」。
今年の尋常でない数の台風にもきっちりやられた。
でも、いつも必ずと言っていいほど「ギリギリ大丈夫」。台風直撃直後にそれまで欠航となっていた飛行機が飛ぶようになって何とか行けたり、今回も研修の半日前に台風が通り抜けたり・・・。
なので、「結局、大丈夫なはず」という変な自信だけはついてしまった。だけど、とにかくその前に「様々な想定」「あれこれの準備」「予備としての手段」「いっぱい心配」など、とにかく面倒くさい。

「祟られている」とか「憑かれている」とかがぴったりとくる状況かもしれないけれど、そういうことは信じないタイプ。だけど「とにかく恐らくちゃんと統計的に見ればとんでもない確率」だとは思う。それはこれからのことではなくて、これまでの結果。なので「ま、いつもギリギリ大丈夫」に頼っていると危ない・・・ので、やっぱり「面倒くさい」。
こういう人生なので、トラブルのあれこれを想定して対処する力がついたのかもしれない(本当、よくもまあこれだけ邪魔なことやトラブルが発生するよなあ、っていつも呆れてきた。ポジティブに考えれば、漫画に描いたように「あれこれ」やりすぎて「あちこち」行き過ぎているからなのだろうけれども)

未来には適用できないけれど、次は九月末頃に九州。さて、どうなるかな。覚悟はできているぞ(なんの?・・・勘弁してほしい)。

何が「高齢社会先進国」だ

この1か月の間に、高齢の両親に「CDプレーヤー」「液晶テレビ」「携帯(ガラケー)」を買ってあげる機会があり、(当然)手配・設置・使い方の教育の全てを行った。
 
改めて、「日本はアカン」と思った。
言葉では「高齢社会先進国」だとかなんとか謳うのが大好きだけれど、実際には高齢者のことをちゃんと考えた製品づくりなんて全くできていない。
 
今回買ったもので言うと、
●「CDプレーヤー」
・CDが超セットしにくい。コストダウンのためだろうが、かなりの手先の器用さが必要。
・セットしにくいので、デザイン上は「縦置き」になっているが、実際に本体を寝かせてCDを入れなければならない。そうして蓋を上にすると、ボタンの文字が上下逆になってしまう。
・なんと超有名電気メーカーのもの(設計から製造まで全て委託だろうけれど)

●テレビ
字幕モードのON/OFFをしようとすると、昔はリモコンに「字幕ボタン」があったが、最新機種では、「メニュー」から選び、画面上で2,3回ボタンを押してやっと選べる。ところが、操作をちょっとモタモタしていると、カーソルがある場所のメニューが開いてしまい、「字幕切り替え」の表示を覆ってしまって見えなくなってしまう。ほんの2,3秒で高齢者はそのスピードについていけない。

●携帯
高齢者用を購入。高齢者に必要なスピーカーフォーンへの切り替えの表示もない。音量調整のボタンも小さすぎて震える指ではちゃんと押せない。「スマホ」に慣れてしまった私たち子供世代にも「ガラケーでのお作法」は忘れてしまっているので、訳がわからない。「高齢者」=「昔のものがいい」という勘違いUI満載。メニュー構成も酷くて、どこで何がセットできるのかを探し出すのがだ大変。ネットで購入できるのはとてもいいが、本当にこれでもかというくらい訳がわからないことが頻発する。むちゃくちゃ疲れた。

おそらく、理由は「思考停止(自分で考えない、考えても誰にも言わない)設計」「設計者自身が使ったことがない」などだろう。こんなので「高齢社会先進国」とか言わないでほしい。この国の力はもうないのかもしれない、とまで思った。

本当の高齢者用は、まず「高齢者自らがその最新の機器の情報」を知らないので、実際にはその子供たちが買って、使い方を教えてくれるのが多いケースだろう。そして、「使い方」はその高齢者に合った「最小限の使い方」を選んで、プリセットなどをする。そういうことがやりやすい機器の開発はどうしてされないのだろう。「いやいや、ちゃんとやっていますよ」と言うのかな。信じられないけど。

いよいよ・・・どうすれば

自民党総裁選は少しは話題になっているけれど、この後にいよいよやってくる憲法改正は本当に盛り上がらない。今の政権がどういう意図を持っているかも大事な因子だけれど、それ以上に政権が変わっても残る憲法がちゃんとしたものになってほしい。
しかし・・・どうしようもない酷い憲法改正案が出てきても、それしか選択肢がなければ「自分で考えるのが苦手」な国民は「ま、いいんじゃない?」となって、粛々と物事が進んでしまう可能性が結構ある。
やだ。
そのためにはちゃんとした対抗案としっかりとした議論が必要なのだけれど、ほとんどない。対抗案の軸もなく、新たな案が大きなうねりになる兆候もない。
「ま、酷い案だったら国民投票で否決すればいいんでしょ。だからとりあえず護憲」では、いつまでもまともにならない。歪み続けて沢山のいけないことが起き続ける。憲法は権力を縛るもの。放っておくと、国民を縛るための憲法に変えようとする輩たちに乗っ取られる。

武力は全く持たず、武力に頼らず、武力がないがためにこの国が滅びてもいい、という覚悟は(ほとんどの国民は)ないのだから、憲法は「だったらどこまでいいの?」を提示して権力を縛らなければならない。徐々に、かつ頻繁に縛れなくなった穴が露出している。もうもたない(大分前からだけど)。

いつも結局行き着くのは「できるだけ沢山の人に自分の頭で考えて欲しい」ということ。すでに自分なりの考えを(いいか悪いかは別にして)確立している人はそ変わらないけれど、多くの「ま、いいんじゃない」という人に考えてもらうには、どうすればいいのか。一応、物書きの端くれとして、足掻き続けたい。

夢に向かって修行

あまり「こうなりたい」とか「これをやりとげたい」とかがない人間だけど、ちょこちょことした「夢」みたいなものはあって、その一つは「日経新聞の夕刊に4コマ漫画を連載する」。
今は4コマ漫画がない日経新聞だけれど、1994年までは福地泡介さんの「ドーモ君」が約10年連載されていた。福地泡介さんが亡くなり、それと共に日経新聞には4コマが載らなくなったらしい。
 
前々から「そのうち日経新聞の夕刊に4コマ漫画を連載することを狙っている」なんて飲み会の席とかでちょくちょく言っていたけれど、実際にはそれに向けた具体的なことはやっていなかった(4コマは書き続けているけれど)。
日経新聞に4コマを連載するとしたら、いつも書くような政権批判とか大企業サラリーマン社員こけおろしとかはやっぱり駄目なのかなあ。キャラクターが必要かなあ。主人公ってどんなのがいいのかなあ。
とりあえず、修行として、新聞に載っている時事関連の記事をベースに4コマを描くことを修行として時々やってみようと思って、とりあえず「トルコリラの暴落」を取り上げようと思ったのだけど・・・4コマにするのはむずかしい。
 
ま、足掻き続けるとなんか見つかるかな。