勢川びきのX記 (4コマblog)

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ごちゃごちゃの二つの責任

安倍政権の政治家と金の問題で、国会などでやたら「任命責任」と「説明責任」という二つの「責任」と言う言葉が飛び交っている。
大分前にも4コマ漫画で書いたけれど(これ)、「責任」には二種類あって、

  1. 結果責任:職務などで上手く行かなかった時に、辞任したりクビになったり、(昔だったら)腹を切る、という結果に対しての責任。ある意味の最終責任。
  2. 「推進責任」:諦めずに、なんとかうまくいくように足掻く事。投げ出さないことが一番のポイント。

ということだ(と大分前に私は気がつきました。)

ところが、国会答弁では、その二つを巧妙にごちゃ混ぜにしている。
任命責任」は「結果責任」なので、ダメなやつを間違って任命してしまったら、(総理などの地位を)辞めるか、謝るか、なんせ「結果」なので「決着」をつけること。
一方、「説明責任」は「推進責任」。諦めずに「説明がつくようになる」ことを延々とやっていくこと。
そういう風にして見ると、国会答弁も分かり易い。
一例だけど、2月25日の民主党の後藤議員と安倍首相のやりとりで見てみると、
後藤議員は「任命責任には(該当する議員に)説明責任を果たすことを促すことは入っているでしょうか」という質問をしているが、安倍首相は決して直接答えない。
安倍首相が思っている事を上記の「二つの責任」の理解で推測すると、『あのなー、「任命責任」は結果責任でしょ。だから、今回の件はどれも「任命責任」をとらなきゃいけないほどの悪い事をしていないって、ずーと言っているでしょうが。「任命責任」に抵触するくらいのことが起こったら、結果の責任を取るしかなくなって首相をやめるとかになっちゃうじゃん。「説明責任を促す」ですと?それって、「推進責任」の場合にやる類いだよね。私は何もしません。結果だけに責任を持つので。(でも、大丈夫だよ〜、これくらいで結果責任を取るなんてことにはならないからね)』ということだろう。
また、後藤議員が思っている事も推測すると『そりゃね、今回くらいのことで「結果責任」を取って辞めろとかは中々(この弱い立場では)言えないくらいのことは分かっているから、「任命責任」の中にちょこっとは「推進責任」の部分があるのじゃないかな、って気がついたので(それが「諦めずに説明を促すこと」)、そこを突っ込んでみたんだけど・・・』ということになる。
もちろん、二人がそこまで考えて発言しているのかどうかは分からないけど・・・。
一方、マスコミやその他のやり取りでの多くは、単に「ごちゃごちゃ」に感じる。
会社の中にはびこる似非官僚(これを官僚的と言う)は、「責任」という言葉を何も考えずに振り回しているだけだから、そっちよりはマシなのかな。