1985年8月12日。
彼女は私が会長をしていたマンガ同好会MACKの同人誌に沢山の作品を書いてくれていました。抜群の実力で、生きていれば間違いなく一流のマンガ家・イラスト作家になっただろうと今も確信しています。(生駒さんは沢山のペンネームを使っていました。雑誌ファンロードでは「緋本こりん」というペンネームで既に多くのファンがいたようです。)
当時は、(当然ですが)インターネットはありませんでした。随分時が経ってしまいましたが、彼女の作品をデジタル化し、ネットの世界にも残しておくことにしました。命日の今日、サイトを立ち上げました。