勢川びきのX記 (4コマblog)

日々・世界の全てを4コマで

喪は明けたけど

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先日、父の四十九日法要が終えました。なんかあっという間でした。

あれこれの手続きだけでなく、元々予定していたイベントの実施やメンターの仕事や漫画コラムまで、「喪中だなあ」と多少は気にしながらも結局バタバタ過ごしてしまいました。

父のようにはなれないなあ、と改めて思ってしまいました。

神戸が地元のはず・・・

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結局、ふるさとや地元と呼べるものがない流浪の人生。向いている気もするけど。

神戸は中学から住んでいるけれど、中高は西宮、大学は大阪、就職以降は関東とアメリカで、結局、神戸のことは実は薄い・・・ま、そんな人生さ。

父と母のおかげで今回はだいぶ家の近所のあれこれが分かったけど。

 

父が亡くなりました

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先週、父が亡くなりました。まもなく92歳になるはずの91歳でした。

亡くなる2日前に私は神戸に帰っていて、父に会いました。「なんか弱っているな」とは少々思いましたが、会話もできるし、声もあまりでないものの昔得意だった詩吟を歌ってくれたりしていました。

亡くなる当日も数時間前まで母と話をしていました。

そして、本当にすーっと寝たまま静かに亡くなりました。生前から無理やりの延命治療はしたくないと言っていましたし、亡くなってしまって言うのも無作法だと思いますが、本当にいい終わり方だったと思います。

この終わり方そのものが父の人生を表していました。父は(私と違って)いつもおとなしく感情の起伏もあまりなく、怒ったりどなったりするのを見たことがありません。そして(私から見ると異様なほどに)家族や他の人に気遣いばかりしていました。

特に病気らしい病気もなく死亡診断も「老衰」でした。

ピンピンとまでは行きませんが、しっかりと生き抜き、さっと逝きました。

瀬川家は長生きの家系だし、父の父(祖父)は105歳まで生きていたので、父も間違いなく100歳は行けるだろうと思っていました。

本当にお見事でした。亡くなってまだ間がないのですが、亡くなって父のすごさ・素晴らしさがじわじわと心の中を占めてきています。

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父は書道が得意でした。4コマ目も父の作品。

また、俳句が趣味でした。(私がアップしていたブログはこちら)

segawatetsuo.hatenablog.com

 

米寿の祝いに私が編集して作った本「昭和一桁生まれのある人生」のpdfはこちら。

 よろしければ読んでやってください。

超うれしい出来事

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久々に会った元部下が今は管理職になり、方針発表をする立場になっている。それだけでもうれしいのだけれど、その方針発表の内容に私の方針発表内容の一部を使ってくれているそうだ。それもちゃんと「出典情報」付で。

なんか本当にうれしかった。

染みてくれていたんだなあ、って。XX冥利につきる(XXが思いつかない・・・)。

 

 

朝ドラ3連発

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(完全自己中漫画&朝ドラを見ていない人には意味不明の漫画でスイマセン)

NHK朝ドラの「まんぷく」が来週で終わる。
前回の「半分青い。」は前半で漫画家を目指し、後半で新しいそよ風扇風機をイノベーションする話。
まんぷく」はまさしくイノベーション物語。
そして4月からの朝ドラは「なつぞら」。予告編を横目で見ていたら「牧場のお手伝い」だったのが、途中からなんと「アニメーターになるために上京」!

 

最近のこの3作の朝ドラのテーマが「漫画」「新規事業/イノベーション」「アニメ」。
幼稚園から「漫画」を描き、中学校~20代で「アニメ」を作り、会社では「新規事業」をあれこれやり、今は個人業として独立して新規事業を起こしたりイノベーションを起こしたりすることをメンターとしてお手伝いしている私(そして「漫画」も描き続けている)。
NHK、私のためにありがとう(^o^;)

  

その中でも今回の「まんぷく」は新規事業/イノベーションのポイントが満載。
思い出しながらつらつらとそのポイントを書いておこう。

NHK 朝ドラ「まんぷく」での新規事業/イノベーションのポイント】

 

  • 大阪商工会の会長の三田村の存在。新規事業にはこういう財力・経験・人脈を持ったサポーターが必須。会社の中でもなんとかこういう「おじさん・おばさん」を見つけるのが肝要。

 

  • 目の前のことにとりあえず食いつくことで生まれるセレンディピティ。調子がよくうさんくさい世良から紹介された泉大津の旧陸軍の倉庫にとりあえず引っ越すと、そこに大量の鉄板がある。これが後に塩づくりの事業につながっていく。

 

  • とりあえずのリソースをなんとか活かそうとする。その鉄板を何に使ったらいいのかのアイデアはなかなか生まれなかったが、ある日ラーメン屋で「塩が足りない」という話を聞いて、海水を鉄板の上で太陽光で濃縮して塩を作ることを思いつく。「リソース」をいかに活かすかを常に考え続け、かつ、世の中の困りごとに出会ったときにイノベーションは生まれる。

 

  • 一方で、リソースがなくても「解決したい大きな社会課題」が起点となって行う事業は強い。栄養食品「ダネイホン」は戦後の栄養失調で苦しむ人たちをなんとかしたいという気持ちから、食品については全く素人だった萬平が大学の先生などを巻き込みながら進めていき、事業としても大成功を収める。

 

  • ただ、技術者(萬平)がとかく思い込み勝ちな「いいものを作れば売れる」はずはなく「ダネイホン」を拡販するために、萬平・福子は苦手は「広告」の作成に協力する。このあたりに力を発揮するのがうさんくさい世良。世良のようにタイプが全く違う人間を仲間として持つことはとても重要。

 

  • また、広告や袋・カップのデザインのことになると、萬平は「いいね!」というだけでケチをつけることはほとんどない。得意領域と違うところでは専門家に任せる度量が必要(素人なのにあれこれいうのが経営者だと勘違いしている人へ忠告)

 

  • 母すずはいつも「できるはすない」「失敗するのに決まっている」「反対」と言う。とても愛されるキャラクターとして描かれているのでドラマの中ではいい存在だが、こういういつも否定ばかりする輩に新規事業を提案・推進する人は囲まれている。萬平や福子はいつもすずの言葉に結局は従わずに進めていく。ただ、すずと正面からぶつかり続けることはしない。新規事業を進めていくときにこういう輩に対しては決して喧嘩はせずに「『そうですね』と言って『無視して前に進む』」のがコツ。

 

  • 諦めない。できない理由(言い訳)は言わない。できるはずだと信じて進む。

 

  • (ちょうど今週あったエピソードだが)量産工程でカップ麺をどうやってカップに収めればいいのかという壁にぶつかっていたときに萬平は天井と床がひっくりかえる夢を見て、上下を逆にしてカップを麺の上からかぶせればいいことを思いつく(この方式は今でも使われているそうだ)。そういう夢を見る事もそういう夢から製造工程を思いつくことも、「ずーっと考えているから」。ニュートンがリンゴが落ちるのを見て「引力」を思いついたというのも同じ。いつも「なんでだろう」と引力の存在に関する領域で「ずーっと考えていた」から。それまでリンゴが落ちるのを見たことがある人は何千万人もいるはず。

 

  • 駐留軍に言われなき罪で逮捕され拘留された萬平は、世論を味方につけた結果、「罪を認めれば釈放してやる」という状況になるが、「自分は一切悪いことはしていない」と頑固に罪を認めない(結局は福子に説得されるが)。「自分は正しいことをしているんだ」という折れない気持ちが新規事業でも重要。

 

  • あるいきさつから8年も新規事業開発から離れ信用金庫の理事長を行うことになるが、ここでの経験がその後のインスタントラーメン開発に大いに役立っている(はず)。人生は寄り道が大事。新規事業を立ち上げられる人は寄り道を必ずといっていいほどしている(大学現役合格、エリート街道、だけの人から生まれない)

 

  • 福子の存在は本当に大きい。新規事業をやる人は回りの理解者は少ないのが通常。常に心の支え(戻れる基地のような存在)である福子。

 

  • 残業という概念がない。今は企業に勤める人は社員証カードなどで入退出が厳密に管理されていて、興が乗っていても会社で実験を続けることは難しい。昔は「気が付いたら徹夜していたよ(^o^)」というような人がいたもの。企業からイノベーションが起こる確率が減っている原因の一つ。

 

  • ちょっと残念なのは「インスタントラーメン開発を始めようとした理由」が弱いこと。ここはもう少し深く描いてほしかった。

 

・・・ちょっと考えただけでもこれだけのポイントがある(後程別のポイントを思いついたら追加していこう)。


新規事業やイノベーションを志すひとは必見のドラマだった。

 

若い人たちとずっと

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新規事業のメンターをやっているので、若い人たちと対話する機会が多い。今週は特に多かった。何人・何テーマやったっけ・・・数えるのが面倒くさいほど。

本当に贅沢な日々・時間だと思う。もしサラリーマンを続けていて大会社でそれなりの立場で仕事していたら、どうしてもジジイばかりの(自分もジジイだが)会議とかの時間が圧倒的に多い日々だっただろう。

いやあ、面白い。楽しい。

でもいつまでも続けられないのは確か。それは仕方がない。でも頭と口が回るうちは「見た目」で「ジジイ」と認識されて、変に気を遣われたりしたくない(対話で内容を練り上げていいものにしていくためには障害になる)。

ま、見た目も「仕方ない」の一つではあるのだけど。

大好きな映画「未来世紀ブラジル」の美容整形の悲惨さを思い出したりもしている(すいません、分かる人はすくないかな・・・)